ひの心を継ぐ会は愛媛の先哲竹葉秀雄先生の遺志を継承し発展することを目標とする有志の会です。

勉強会レポート

第52回 勉強会 古事記

【第52回勉強会】

9月18日に松山市にて第52回「ひの心を継ぐ会」勉強会を開催いたしました。

最初に「愛媛県師友会歌」を斉唱。その後、『朗読のための古訓古事記』から、「天地の初発の段」について勉強しました。
以下、参加者の感想を掲載いたします。

・古事記について学びました。
私は当初、古事記に登場する全ての神々は、実在した人物を象徴した存在であると認識していました。例えば、高天原=九州、別天神=各地にいた豪族等です。なぜなら、古事記の本文にあります「身を隠したまいき」をそのまま読めば、彼らは居なくなったのだなとイメージしてしまいます。
しかし、天之御中主神の神名に注目しますと、「天」とは宇宙そのものであり、「主」とはそこに留まって動かないもの、司るものという意味です。
つまりは、全宇宙が最初の神とともに成ったということであり、古事記の冒頭はこの世の始まりから語られているということになります。
そう考えますと、確かに人の目にはその実態を把握できずに彼らが身を隠しているように感じますね。
この世界そのものが神であるという考え方は日本独自のものであり、他の一神教とは異なっています。
私達が神に内包されていると思うと、なんだかわっくわくです。

・先日は古事記の勉強会でした。
あめつちのはじまりのとき、たかまのはらになりませるかみのみなは あめのみなかぬしのかみ 次にたかみむすびのかみ 次にかみむすびのかみ。このみはしらのかみは、みなひとりかみなりまして、みみをかくしたまいき。
ちなみに、上の平仮名をすらすら読める人は言霊の遣い手ですね。
この冒頭部分の解釈の為に、三浦先生を囲んで、約2時間!!を費やして、日本人の宇宙観、宗教観、思考の仕方について学びました。
ここでは、私たちが出した結論について語ろうと思います。
たかまのはらになりませる とは、場所なのか?天之御中主神そのものが たかまのはら なのか?あめつちの始まりとはどのように出来たのか?あめつちの始まりがあったのなら其れを誰が始めたのか?
私たちの結論はこうでした。
天之御中主神はその名前の通り宇宙の中心。
たかみむすびのかみとは、日本語の言霊の意味として『たぁかぁ』という言葉の指す意味は、強い、たかい、尊い、上昇、陽を指します。
かみむすびのかみとは、『かぁみぃ』の言霊は微か、目に見えない、陰。結ぶ、身、実。つまり、エネルギーの中心とそのエネルギーの動きや、極を表しているのではないかと思われます。
まさに、宇宙の中心に存在する核の部分その両極を成しているホワイトホールとブラックホールです。このエネルギーの形は私たちの身の回りでも、地球磁力、電磁力、人体の気の流れ、トーラスとして知られています。その三体の神は一体であり、たかまのはらとは、空間と時間の広がりも表しているのだとわかりました。
私達が生きているこの三次元世界も『みみをかくしたまいき。』神がおわして、神の摂理によって成り立っているのです。そして、一人一人の体にも生体エネルギーが循環する神様の仕組みの結晶。極論、一人一人が神の 別け御霊となっているのです。
この点を理解すれば古来、日本人が大切にしてきた価値観や自然観、宗教観を理解することが出来ますね☺️
だから日本人は本来明るい民族なんですね😃
何せ神の仕組みそのもの、別け御霊なんですから。
しかし、なぜ日本人はこのような真理を数千年前から知っていたのか?
私は多分、自分の中におわす神様を通して直感的理解をしていたのだと思います。 どうですか?古事記って奥が深く無いですか?日本人て凄いと思いませんか? 私はそう思います。機会があれば、是非一緒に美味しいケーキで古事記談義をしましょう。
最後まで読んで頂きありがとうございます🙏

・天之御中主神がこの世の「全て」であり、高天原にあらわれたのではなく、あらわれたところが高天原と呼ばれ、天地や時間、宇宙全てが天之御中主神であるという話が非常に理に適っていると言うか、よくできている内容だと感心した。
「身を隠したまひき」についても、現れてから隠れたのであれば天地や時間、宇宙も消えて再び「無」になるわけで、もともと姿が見えないと捉えるのが正しいことだと、始めの数行の部分が実に奥の深いものだと思った。

・今日の勉強会では古事記冒頭、造化三神が御成りになる件を学びました。宇宙生成の根源を如何に観ずるかが国家観、人生観の基本となるので、細かく深く見ていく必要があると思いましま。次回からも造化三神の件を基本として神話が進展して行くので、繰り返し復習して、次回に臨みたいと思います。

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